堀川にかかる小さな橋。文章博士・三善清行の葬列がこの橋に差しかかったとき、紀州熊野から駆けつけた息子・浄蔵が追いつき、死に目に会えなかったことを嘆き悲しんだところ、一時的に生き返り別れの言葉を交わしたという。現在でも入嫁列や葬列はこの橋を渡らない風習があり、これをストーリーに組み込むことも多い。
現在の堀川は水がほとんどなく、戻橋の一本南側の中立売橋(堀川第一橋)の脇から川底に降りることができる。戻橋はコンクリート製になってしまったため、石造のアーチ橋で風情のある中立売橋とともに使用されることも多い。